文京区は、多くの文豪、文化人が活躍した所として、知られています。
森鴎外や夏目漱石、樋口一葉、石川啄木など
近代文学史上に名を残す文豪たちが
文京区を活動の拠点とし、
文京のまちの礎を築きました。
彼らの書いた数多くの文学作品の中にも、
文京区の地名が見られます。
道沿いに点在するそのような文人たちの旧居跡や
文学碑を眺めながら、散策を楽しむことができます。
下記ではその一例として夏目漱石と文京区のかかわりを紹介したいと思います。
漱石は牛込の自宅を出て、明治17年に小石川植物園下の新福寺の二階に友人と住みました。
明治23年に東京大学に入学し、小石川区指ヶ谷町に住みます。
東大卒業後に東京師範学校の講師となり、明治26年には小石川伝通院のそばの法蔵院に間借りしました。
その後、『坊ちゃん』の舞台である松山中学へ赴任しました。
明治33年に英語研究のためイギリスへ2年間留学し、帰国後は本郷区駒込千駄木町57番に住みました。
この家はその11年前まで、森鴎外が住んでいたところです。
東大英文科の講師をつとめながら、「吾輩は猫である」「倫敦搭」「琴のそら音」などを次々に発表しました。
この家は「吾輩は猫である」の舞台として“猫の家”と呼ばれ親しまれ現在は明治村に移築されています。
明治39年には本郷区西片町10番地ろノ七号に移り、「坊っちゃん」「草枕」「二百十日」などを書きました。